おはようございます。
とうとう2011年12月31日がきました。
少々長くなりますが、私なりの2011年をまとめてみたいと思います。
長文ですので時間が無い方は、あとで見たほうが良いと思いますよ。それでは。
今年の初めの私は、イオンリテール 食品商品本部 農産マネージャーという仕事をしていました。
しかし、2月21日に大阪での勤務を命じられイオンを辞めました。
辞めた理由は、いくつか有りましたが、やはり、家族と離ればなれになりたくないという気持ちが、
最終的には強かったということでしょう。また、転勤族にはなりたくない、子供を転校転校の
生活にさせたくないということも大きな理由です。イオンという会社は皆、出世して行く人は、転勤族
です。15回~多い人で20回以上の全国転勤を経て出世していきます。イオン時代に良く言われました。転勤は人を育てると。確かに新しい新天地で知らない人と出会い新しい生活をし、さらに新しい仕事をしていく。そこで人とのコミニケーション能力を身につけたり、仕事のスキルアップが出来たりするかもしれない。そこに凄く魅力を感じる人もいるだろう。しかし、残念ながら私は、そこに何の魅力も感じることが出来なかった。家族を犠牲にしてまで出世をする必要があるのか?今の給料くらい辞めたって稼げるだろう。私は根拠の無い自信家である。
皆に、「もったいない」、「良く考えろ」、「辞めたら後悔するぞ」、「大きな会社がいい」などいろんなことを言われたが、結局辞めた。
実は移動の辞令がいつ出てもいいように、頭の中で千葉餃子 ボンズの構想をすでに持っていたことも事実である。だからスパッと辞められたのかもしれない。
3月いっぱいは有給消化をさせて頂き、ボンズの準備が出来ると思っていた矢先・・・悪夢が来た。
この地震のせいで、私の計画は頓挫した。当たり前であろう。店を出すどころではないというか、
絶対出せない状況に陥った。この時、思った。「あーイオンにいたら、仕事しなくても給料入ってくるのに・・・」後にも先にも後悔したのは、この時だけであるが・・・
しかし、昨日もテレビが特番組んで3.11のことを放送していたが、まさに悪夢だ。
何度観ても、目に涙が溜まる・・・
3ヶ月は動けないことを覚悟し、5月のGW明けから店舗探し、融資の手続き、改装の手配など
慌ただしく動いた。独身なら別に良いが、家族がいるものにとって3ヶ月以上仕事をしないということは、駄目人間のレッテルを貼られてもおかしくない。結局は、約5ヶ月の駄目人間を経験し、
8月26日「千葉餃子 ボンズ」 オープンに辿り着いた。
イオン時代から構想は練っていたといっても、所詮仕事しながらの構想なので100あったら、10~20の構想でしかないので、屋号を決める、メニューを決める、価格を決める、店内の内装は?
外装は?融資は下りるの?下りないの?仕入れ先は何処を使うの?チラシはどうするの?などなど書ききれないが、たくさんのやることがあったが充実した日々だった。
オープニングから約一ヶ月は本当に体力的に辛く、嫁とも何度も衝突し、喧嘩もした。
嫁は息子に、ほとんど会えない日々が続きストレスを感じ、息子も同様なストレスを感じていたと、
あとで小学校の先生に聞き、涙した。
家族と一緒にいようと決めて会社を辞めたのに家族がバラバラになる・・そんな危機感さえ感じた。
店にとっては、嬉しい悲鳴なのだが・・・。
睡眠時間2~3時間が何日続いたのだろう。今、思い出すと良い思い出ではあるが。
今は、やっと落ち着き、段取りもわかり、優秀なアルバイト?さん達も4人入ってくれて、
何とかカンとかドタバタな日もあるが、毎日楽しく営業できている。
ボンズをオープンしたことにより、思いもよらぬ再会が何度もあったり、想像以上の支援があったり、新しい友人が出来たり、お客さまと楽しく話しができたりとやはり、そこには絆たちがあることを
実感している毎日です。
すべてのお客様に感謝です、すべての友人に感謝です、すべての親類に感謝です、
こんな私に付いて来てくれている最大の理解者、我嫁、由美子に感謝です、わが息子、孝太郎に感謝です。
来年も千葉餃子 ボンズ は元気に営業をしていきます。
皆様の応援宜しくお願い致します。
皆様にとって来年が素晴らしい一年でありますよう、
祈っております。
ありがとうございました。
良いお年を・・・
千葉餃子 ボンズ
店主 関 和孝
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