2012年2月5日日曜日

こんな身近に・・・

ボンズを8月にオープンしてから、しばらくして1組の常連さんと出会った。

初来店してくれたのは、9月終わり頃だっただろうか・・・

それから週一ペースで来店されていたが、トンと来なくなった。

昨日久しぶりに来店され、珍しく一人での来店だったので、久しぶりじゃないですかと声を掛けた。

品の良い初老の女性だ。

少しなまりがあるので、どちらのご出身ですか?と尋ねると福島だと・・・。

え?福島?あっちの方は地震で大変だったでしょと返すと、

実は自分も震災の被害にもろに遭い、家は津波で流され、家族共々避難してきた人間なんだと

告白された。 衝撃だった。

一般の常連さんだとばかり思っていたこの初老の女性が、東日本大震災の津波の被災者

だったなんて・・・

来店された時間も14時近かったので他のお客さまも居なく、ゆっくり話を聞くことが出来た。

地震が発生して車で逃げる途中、バックミラーを見ると黒煙をあげて襲ってくる大津波の恐怖、

街のパニック状態の話し、家の跡地に残されたのはテレビでよく見るコンクリートの基礎だけ、

家財道具も何もかも流され、本当に裸同然で逃げてきたと。。。

家は流されてしまったが、お店を経営していたのでその店が残っていると。

あ~良かったですね仕事は出来ますねと私が言うと、それがそこは、放射能の警戒区域に

指定され立ち入り禁止だと・・・

もちろん、私もテレビの情報で知っていることも多いが、生で聞く被災体験の壮絶さは、

鳥肌が立ち、涙が出そうになった。

私たち千葉市民はどうだろう?

確かに凄く怖い思いは、したかも知れないが、家も有るし、家族も居るし、仕事もある。

別に生活は変わっていない。被災者じゃないよね。

しかし、本当の被災者は、家は無い、家族も亡くなった、仕事も無い状態なのだ。

これからどうすっべか・・・初老の女性は寂しそうに笑った・・・

聞いていて辛かった・・・見ていて辛かった・・・

こんな身近にあの悪夢の被災者の方がいるなんて・・・言葉にならなかった・・・

何をすればいいのだろう?何をしてあげればいいのでしょう?

悩んだ結果、帰りのレジで多少の押し問答があったが、私の気持ちを受け入れてくれた。

ありがとうございます。

初老の女性が最後にポツリと言った。

墓参りに行きたいよ、それだけが心残りなんだと・・・。

今、自分がこんなに大変な時に・・・そんなこと考えられるのか・・・

俺だったら何を考えるのだろう・・・


一晩たっても答えは出ない・・・


千葉餃子 ボンズ

店主

0 件のコメント: