ボンズを8月にオープンしてから、しばらくして1組の常連さんと出会った。
初来店してくれたのは、9月終わり頃だっただろうか・・・
それから週一ペースで来店されていたが、トンと来なくなった。
昨日久しぶりに来店され、珍しく一人での来店だったので、久しぶりじゃないですかと声を掛けた。
品の良い初老の女性だ。
少しなまりがあるので、どちらのご出身ですか?と尋ねると福島だと・・・。
え?福島?あっちの方は地震で大変だったでしょと返すと、
実は自分も震災の被害にもろに遭い、家は津波で流され、家族共々避難してきた人間なんだと
告白された。 衝撃だった。
一般の常連さんだとばかり思っていたこの初老の女性が、東日本大震災の津波の被災者
だったなんて・・・
来店された時間も14時近かったので他のお客さまも居なく、ゆっくり話を聞くことが出来た。
地震が発生して車で逃げる途中、バックミラーを見ると黒煙をあげて襲ってくる大津波の恐怖、
街のパニック状態の話し、家の跡地に残されたのはテレビでよく見るコンクリートの基礎だけ、
家財道具も何もかも流され、本当に裸同然で逃げてきたと。。。
家は流されてしまったが、お店を経営していたのでその店が残っていると。
あ~良かったですね仕事は出来ますねと私が言うと、それがそこは、放射能の警戒区域に
指定され立ち入り禁止だと・・・
もちろん、私もテレビの情報で知っていることも多いが、生で聞く被災体験の壮絶さは、
鳥肌が立ち、涙が出そうになった。
私たち千葉市民はどうだろう?
確かに凄く怖い思いは、したかも知れないが、家も有るし、家族も居るし、仕事もある。
別に生活は変わっていない。被災者じゃないよね。
しかし、本当の被災者は、家は無い、家族も亡くなった、仕事も無い状態なのだ。
これからどうすっべか・・・初老の女性は寂しそうに笑った・・・
聞いていて辛かった・・・見ていて辛かった・・・
こんな身近にあの悪夢の被災者の方がいるなんて・・・言葉にならなかった・・・
何をすればいいのだろう?何をしてあげればいいのでしょう?
悩んだ結果、帰りのレジで多少の押し問答があったが、私の気持ちを受け入れてくれた。
ありがとうございます。
初老の女性が最後にポツリと言った。
墓参りに行きたいよ、それだけが心残りなんだと・・・。
今、自分がこんなに大変な時に・・・そんなこと考えられるのか・・・
俺だったら何を考えるのだろう・・・
一晩たっても答えは出ない・・・
千葉餃子 ボンズ
店主
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